夏目房之介さん講演会「孫が読む漱石」(1)

先日、大好きな夏目房之介さんの講演会に行って来ましたよ〜〜〜!


会場は「神奈川近代文学館」。
ここには夏目さんが寄贈した漱石の遺品が納められています。
この場所で、夏目さんが漱石作品について語るという、
漱石ファンにも、房之介さんファンにとっても楽しみな企画!
・・・「トリビアの鼻毛」以来かも。


ところで。神奈川近代文学館は、
デートコースとして有名な「港の見える丘公園」の一番奥の方にあるのですが、
これがまた、道程が長い!
JRの最寄駅・石川町駅に着いたのは、開演30分前だったのですが、
中華街を駆け抜け、気がついたら公園の入口を通り過ぎてしまい、
その上雨まで降ってきて。
どうにか公園入口まで戻って「あと少しだ!」と振り仰げば、
目の前には、100段はありそうな、長い長い階段が!(嘆)
・・・「もういやあああぁぁぁ!!!」とか何とか叫びながら駆け上がり、
そこから更に800mダッシュして、やっと会場に着いた頃には、
息はゼエゼエ、服はヨレヨレ、髪はボサボサ。オマケに講演も始まっておりました!
・・・受付のお姉さんに、「もう始まってますからお静かに」とともに、
「落ち着いて下さいね」と言われてしまった。


会場のお客様方の大半は、漱石ファンと思われる、熟年層の紳士・淑女の皆様。
・・・去年参加した「おじさん入門」のトークショーの時と比べ、
年齢層が10〜20歳くらい高い感じでした。
そのせいか、序盤は、夏目さんがボケてみせても、
聴衆は「ふうむ」と聞き入ってしまう感じ。
・・・そこの間を上手く掴みながら、随所で笑いを取りつつ、
徐々に聴衆を引き込んでいく話術は、今回もさすがだと思いました!


ちなみに、夏目さんブログより、当日のエピソードとレジュメはこちら。
http://blogs.itmedia.co.jp/natsume/2006/09/post_bd54.html#more


それでは、今回の講演のメモから、ダイジェストでご紹介!
各項のタイトルは、私がメモを取る際にキーワードとして挙げたもので、
夏目さんレジュメのタイトルとは異なります。ご了承下さい。

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●49歳の時思ったこと


49歳の時、父が亡くなり、マンガ評論の仕事への評価から「手塚治虫文化賞」をもらった。
その時漠然と、「あ、人生の節目を曲がったんだな」と思った。


その年、国際交流基金の、マンガ文化を海外に紹介する企画でロンドンに行った。
ロンドンは、漱石が「文学論」の中で「二度と来たくない」と語った場所。
(ちなみに、もう1つ「来たくない」という場所がある。
ハッキリとは書いていないが「松山だと思われる場所」。出典「坊っちゃん」)
その時、NHK-BSから、
「『世界・わが心の旅』で、漱石のかつての下宿を訪ねるドキュメンタリーを撮りたい」
というお誘いが!
正直、興味はなかったが、何しろマンガの企画の方は本当に赤字だったので、
(宿泊費・交通費と、わずかな講演料しか出なかったとか。)
それを補填するために引き受けた。


(余談だが、以前別のTVの企画で、
「ギボアイコと一緒にロンドンに行きませんか?」と持ちかけられたことがある。
「行ってどうするんですか?」と聞いたら、「漱石の霊を呼び出す」と言う。
・・・さすがにそれは、「いるわけないでしょう!」と断った。
漱石自身「二度と行きたくない」と語ってるんだし。)


が、イヤイヤ行ったのに、漱石の最後の下宿先で、
曇り空の下に寒桜が咲いているのを見て、何故か父を思い出し、泣けてしまった。
最初は、自分が感動してるのさえも気付かなかった。
ロンドンの、うつ病で出来たような町並みの中に、唯一心が赦されたような気がした。
・・・それが、「漱石について語ることなんて何もない」と思っていた自分が、
初めて漱石と向き合った作品「漱石の孫」を書くキッカケだった。


漱石の孫」を出版して、取材を受けるようになるうち、
「あの時僕は、初めて『肉親としての漱石』を見たんじゃないか?」と答えるようになった。


最後の下宿部屋に入ったときの印象は、今はきれいに内装をしているけれども、
天井が低くて、窓が小さくて、暖炉も小さい。いかにも安そうな貧相な部屋だった。
当時は、洞穴みたいな部屋だったんじゃないだろうか?
そこに足を踏み入れたとき、
ある光景が舞台の一場面みたいに脳裏にフラッシュバックした。


洞穴のような部屋の中で、小さくうずくまった漱石が、本の山に囲まれて、
世界の近代化の波に押し潰されそうになりながら、必死に勉強している。
そこで暗転。漱石にスポットライトが。
漱石はおもむろに立ち上がり、僕と目が合う。そしてお互い歩み寄る。
すれ違いざま、漱石がささやく。
「・・・お前も、ここに来たか。」
国を背負って近代化を学ぶために、ロンドンに留学した漱石と、
マンガ研究の仕事が評価された上で、ロンドンに呼ばれた自分。
『ここに来た』というのは、
あるところまで辿りついたという、達成感に似たニュアンスが感じられた。
・・・取材を受けるたび、その光景が、いつでも脳裏にリプレイされるのだ。


(つづく)