伽藍博物堂「埋もれた楽園」



去る7月2日、伽藍博物堂の公演を見に行って来ましたよ〜〜〜!


こちらの劇団を見に行くのは初めて。
・・・とはいえ。実は少々ご縁もありまして。
昨年11月、仲田恭子さん・平松れい子さんらが、藤枝市の飽波神社拝殿にて、
前例のない神社公演をやるにあたり、
静岡県内の劇団のHPや掲示板で、当日のボランティアスタッフの募集を呼びかけた。
その時応募してくれたのが、こちらの製作スタッフの清水くん。
以来彼には、空間アート協会ひかりの製作もやって頂くようになり、
東京・藤枝公演はもとより、先日は大阪公演にも参加して頂きました!
それが縁で、今年5月の特設・お茶の香シアターでの公演では、
座布団をお借りし、代表の佐藤さん自ら持って来て下さいました。
その節は、どうもありがとうございました!助かりました!


で。その清水くんから公演のご案内を頂き、いそいそとお邪魔したわけです。


ところで、「伽藍博物堂」とは?
当日配布された資料によると、静岡市を拠点に活動する演劇集団で、
代表の佐藤剛史さんによるオリジナル脚本・演出作品を中心に上演しているそうです。
モットーは「気軽に観て、笑えて、観終わった後に心に残る作品」。
1995年の東京公演の際は、演劇雑誌「テアトロ」に取り上げられ、
「静岡の三谷幸喜」とも評されたとか。


劇団名を初めて聞いた時の印象は、
「私のブログ名(屋号)と似てるなあ・・・」
命名は1993年。その由来は、
「何もない空間(伽藍)にいろいろなものを詰め込む博物館」というイメージからだそうで。
一方、私の屋号も1995年ごろ命名
「いつか、雑貨屋、喫茶店、古本屋、画廊などをひっくるめたお店を持ちたい」という野望から、
→「何にでもなる場所」→「何にもない」→「がらんどう」
から来ているので、由来からして似ており、兼ねてから親近感を感じていたわけです。


日頃は、静岡市内にある劇団の稽古場で公演をしているという彼ら。
公演も打てる、自前のアトリエがあるっていうのはイイね。
稽古場を、その場その場で探したり、
小道具・大道具を持って稽古場を転々とする必要がないから、
芝居はもとより、舞台装置や大道具も、思いきったものを使えるじゃないですか。
東京・地方含め、小劇場系劇団の大多数が、
公演直前に小屋入りするまで、セットを使った練習ができないという現状を考えると、
この環境は、非常に恵まれているのではないかと思います。


今回の公演は、市内の図書館内ホールが会場でした。
駅前から2kmほど離れた、幹線道路脇の住宅地の片隅に、ひょっこり現れる建物。
ホールの入り口に来てみても、どう見ても図書館で、
まさかここが公演の会場なんて思えず。
・・・ところが、扉をくぐってみると、
そこにはステキな小劇場と、何やら雰囲気のあるセットが広がっていたのでした。

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それでは、今回のあらすじをご紹介。


舞台は近未来。
環境悪化により地表には紫外線が降り注ぎ、人類は地下シェルターへの移住を余儀なくされた。
それから200年、人々は平和に、それなりに幸せそうに暮らしていた。
人工の光の下で生きてきた結果、寿命は50歳になってしまっていたけれど。


さて。そんなある日。
20歳の女の子3人組:アコ・ナル・ユウは、合コンの話で盛り上がっていた。
この世界では、子孫を絶やさないための男女のカップリングの場の提供から、
安全情報、ニュースまで、エリート層からなる「上層部」が取仕切っていた。
彼女らの合コンも、その上層部の女性官僚:クラタのセッティングによるものだ。


が、当日になって、発電所でナゾの爆発事故が起こる!
当然、合コンは中止に。
上層部からのニュースでも、「小さな事故で、事態はすぐに収まった」との情報が。
・・・が、その割に、その地域への立ち入りはできなくなり、
そこに住むナルの恋人とも、連絡が取れなくなった。
その時、
「事故は、かつて別のシェルターから流れ込んできた、移民による暴動によるもの」
というデマが!
ナルは、親友のユウさえも、移民出身だからと疑い始める。
・・・そこへ、彼女らの上司:班長が割って入り、仲介する。
班長は、事件の真相に気付いていた。


18年前、隣のシェルターで発電所の事故が起きた時、
上層部は、被害が他のシェルターにも広がるのを恐れ、また事故をもみ消すために、
そのシェルターの出口を全て封鎖し、住民を見殺しにした。
その時、地上に通じる空気穴と、作業用のわずかな隙間が残っていることに、
一部の反政府活動家が気付いた。
その一人が、班長の夫だった。
彼らは、自らの命も顧みず、生き残った住民を隙間から逃がし始めた。
が、間もなく上層部に気付かれ、彼らは抹殺され、隙間は閉じられてしまった。
そして、空気穴を通って地表に出る者や、生き残った活動家と連絡を取ろうとする者は皆、
上層部から、反乱分子とみなされるようになった。
・・・班長は最近になって、当時使われていたラジオの電波を使って、
当時の活動家達が、連絡を取っていることに気付いた。
そして、地上への穴を通って、夫達が生き延びたかもしれないという予感も。


上層部による情報操作の中、独自に彼らは、
「このシェルターも、隣のシェルター同様、滅亡寸前の危機にある」
「上層部は既に、ここを見捨てることを決定した」
という情報を入手した。
班長は、真相と、生き別れた大切な人を探すため、地表に出ることを決意する。
3人娘も、ナルの恋人を追って、それに同行することにした。
・・・その盟友ともいえる、シェルターの責任者:部長は、
シェルターに最後まで残り、運命を共にすると語り、彼らを暖かく見送った。
実は3人娘の一人・アコが、生き別れの一人娘であることを心に秘めたまま。

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世代的には、「ガンダム」に近い世界設定かな、とついつい思ってしまい、
ちょっと顔が緩む。
アムロたちは、宇宙コロニーに逃れたけれど、ここでは地下シェルターなのだった。
全てが人工的に作られた住環境・社会環境の中で、
それを統制する「上層部」に、何の疑問さえ持たなければ、平和に暮らして行けた社会。
けれど、その平和のウラには、明かに一部の人の暗躍が。
それから逃れ、真相を知るためには、
快適な地下シェルターを出て、何があるか分からない地表に出なければならない。
・・・何だか「(アダムとイブの)失楽園」を連想してしまった。


班長の、時にはお母さんのように3人娘を見守り、
時には夫婦漫才のように、部長と本音と建前の入り混じる、ボケとツッコミを交わす、
その暖かく、それでいて芯の強いキャラクターが、観ていて大好きになりました!
部長は、偉い上司にも関わらず、3人娘には年代差から、ちょっと気を使ったり、
反面、同世代の班長には、盟友のように心を許してる雰囲気が良かったり。
実の娘アコに、「お父さんみたい」と慕われつつも、
実の父だと打ち明けられないもどかしさが、微笑ましくも、観ていて切なかった〜〜〜!
・・・でも彼が「告白しなくていい」と決意したのだから、
これで良かったのかな、とも。


3人娘のキャラ立ては、序盤は、
アコ→ミーハー
ナル→ちょっとオタク系
ユウ→普通
・・・というそれぞれのカラーの違いを、かなり強調していたように思う。
そのため、アコ・ナルのリアクションが、
ややステレオタイプに感じる部分もあったけれど、
後半になると、それがかなり少なくなり、
群像劇としてじっくりと見ごたえのある構成になっていた。
ナルの、恋人を案じる気持ちと友情との狭間で、揺れ動く心理描写はさすが!
・・・実は一番自分に近いキャラだけに、
終盤は、思いっきり感情移入して見てました。


ラストは、必ずしもハッピーエンドとは言えないまでも、
自分の意志を貫く班長の決意と、
それをシェルターの中から、温かく見守る班長の眼差しで終わっている。
その後彼らがどうなっていくのか、余韻を残しつつも、
与えられたものから抜け出て、自分の力だけで進んでいく決意表明に、
不安よりも、あくまで前向きな力強い希望を感じた。


・・・読後感、良かったです。
何だか、元気をもらいました。