夏目房之介さん蔵出しトーク「せつなくて楽しいおじさんになる方法」


このトークショーは、夏目さんのエッセイ「おじさん入門」の発売を記念して、
2005年9月30日、六本木ストライプハウス・ギャラリーにて行われた。


会場は、こじんまりとしたビルの2階にある画廊で、
10m四方程度の、真っ白な壁で囲まれた、これまたこじんまりとした一室だった。
そこに私が、5分遅れで会場に駆け込んだ時には、
30人くらいのファンが、みっしりと並んで座っていて、さながら学校の教室のようだった。
トークショーやるには、ずいぶん狭すぎるんじゃなかろうか?」
とも思ったが、
「まあ、『ギャラリー』って言うくらいだから、もともと画廊なのだし、
そんなに広くないのが普通か・・・。」
と、ちょっと腑に落ちた。
高さ15㎝ほどの石膏の少年のエンジェル像が、(いずれもくっきりフルチンとわかる造形で)
天井からいくつもぶら下がってるのが、カワイイような不気味なような。
・・・思えば、おしゃれな外観の割には、ヘンな会場だったのである。


夏目さんブログより。当日の会場の様子はこちら。
http://www.ringolab.com/note/natsume2/archives/003853.html


ちなみに、「おじさん入門」私の感想はこちら
http://blogs.yahoo.co.jp/yazaki_ya/8659550.html


夏目房之介さんトークショー当日の感想はこちら
http://blogs.yahoo.co.jp/yazaki_ya/12222427.html

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日ごろ講演会では、きっちりレジュメを作ってお話されるという夏目さんだが、
この時は「質疑応答編」と銘打ってあり、くつろいだ雰囲気で時折脱線しながら、
ざっくばらんにトークされていた。
冒頭30分は、夏目さんによる「おじさん観」について、雑談風トーク
以降は、会場のお客さんからの質問に答えつつ、身近なエピソードを披露して頂いた。
エピソードには、「おじさん入門」で取り上げられた話の他、
「あっぱれな人々」「これから」にもあった話が色々出てきて、
本の内容を思い出しつつ、楽しく聞かせて頂いた。


以下、当日のメモより、その大まかな内容をご紹介。
・・・夏目さんの文体よりも、私の文体に近くなってますが、どうかご容赦を。
注:本文中の「主語」は、基本的には「夏目さん」です。ご了承下さい。

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<冒頭・おじさん観トーク
●なぜおじさんには、ダメなイメージがあるのか?


若いころは、カウンターカルチャーで、
「大人はダメだ」と反抗する気風があった。
でも一方で、彼らは大人に対しては、
「大人はカッコイイもの・反抗したって崩れないもの」
というイメージを持っていた。
・・・だが気が付くと、大人は崩れていった。
かつての若者世代もダメになっていった。


今時の親子関係を見ていると、子どもに対し親が、「大人として」対応してくれていない感じがする。
「叱る」にしても、親としての立場から叱るのではなく、「子ども同士の対決」という感じ。


思うに、「親」には、子どもが出来れば必然的になれるけれど、
「大人」とは、年を取れば自然になれるもの、というわけではないようだ。
また、「大人らしさ」も、例えば日本とアメリカ、ニューギニアとでは、それぞれ違う。
恐らく、「大人」とは本来、文化(筆者解釈:として継承されてきた行動様式)なのだ。
「大人がダメになった」=「文化がグズグズになった」→なら、自分で文化を作るしかない。


ところで。自分はよく、「相談に乗ってほしい」と頼まれることがあるが、
そういうときは、まずはじっっっと黙って、相手の話を聴くことにしている。
そうすると、相手が自分に「どんな『大人像』を求めているか」が見えてくるから、
それに合わせた「大人」を演じる。
・・・ただそこで、「相手にウソをついている」と思って悩んじゃダメ。
相手にとって自分がそういう大人に見えるのなら、「それもオレだ」と思うこと。



<後半・質疑応答篇>
●「おじさん入門」とくると、
その次には当然「おじいさん入門」がくると思うんですが、
おじいさんについてはどう思いますか?

(20代後半・男性)


おじいさん、ラクですよね〜〜〜!だって、おじいさんには責任がないから。
志ん生が「あたしゃ、ついでに生きている」って言ってましたが、ああなりたいですね。
水木しげるさんなんかもそうですが、
責任を感じなくなるから、もう、やりたい放題。(筆者注:人を食ったような言動のこと?)
・・・ただし。話が面白くなきゃいけない。
うちの父なんかもそうでしたが、面白いと、人が寄ってくるんですね。
一方で、おじさんはしんどい。だから、いかにラクにするか。
でも、ラクに逃げすぎちゃダメ。
ラクに生き過ぎると、格が落ちる気がするんですね。
・・・疲れると仕事休んで、よくバリ島に行くんですが、
格が落ちないためには、休むの4ヶ月くらいまで、と決めてます。



●小学生の母親です。子どもに対し、大人のフリをしているのが辛いです。
自分を作ってる感じに思えて辛いんです。いつになったら楽になれますか?

(みゅしゃさん)


親は、楽にはなれないと思います。責任がありますからね。
親やってると、自分のイヤな面を子どもの中に見てしまいますよね。
だから、コンプレックスなんかしょっちゅう感じるし、辛い。
つい過剰に叱ったり、理不尽なことをさせてしまったりする。


昔息子を、ついカッとなって怒ってしまいそうになったとき、
ほんのちょっと待ってから、言うようにしたんです。
待っている間に、自分が怒っている「本当の理由」を分析してみる。
その理由の裏には、息子の行動の中に、
自分やそのまた父親の嫌な面を見てしまうという、
近親憎悪のようなもの(コンプレックス)が含まれている事だってある。
あるいは、怒った理由を仮に言ってしまった場合、それが逆効果になる事だってある。
だから、少し気持ちを鎮めて、どうしたらいいか一旦考えてから、おもむろに、
「お前ね、これは間違ってると思うよ。」
と、切り出すようにしました。
・・・ただし、ストレスは溜まりますね〜〜〜。


息子が、万引きしたことがありました。
その時自分としては、率直に言うとガッカリして、怒りは湧かなかったのだけれど、
「ここは、父としては、怒っておかねばならんな」
と、あえて怒って、平手で殴りましたけどね。
でも、後で考えたとき、息子も、
「そこで本気で怒って欲しかった」と思ってたと思います。


でも、いつも大人の顔していなければいけないわけじゃないと思います。


次男が高校生だった頃、妻がしばらく家を留守にしていて、僕が夕飯を作った時、
次男が、いかにもマズそうに食べてたんですね。
で、キレた。
そしたら次男が泣き出して、僕も謝りましたけど、
日頃無口な次男の本音が聞けた気がしました。


大好きなマンガ家、よしながふみさんの作品「愛すべき娘たち」では、
片付けをしない娘に母がキレて、娘の私物を捨てようとするシーンがあります。
そこで娘に「こういうのって八ツ当たりだと、あたし思うの!!」と言われて、
母が返したセリフが、
「そうよ八ツ当たりよ。それのどこがいけないの。」
「親だって人間だもの。機嫌の悪い時くらいあるわよ!
あんたの周囲が全て、あんたに対してフェアでいてくれると思ったら、
大間違いです!!」
という・・・。
「母親だってキレるんだ。万能じゃないんだ。」って思いました。


親子は、手探りでやっていくものだから。うまく行かなくて当たり前だと思います。


(つづく)