夏目さん講演会「孫が読む漱石」完結篇


(前回のあらすじ)
去る9月18日、横浜:神奈川近代文学館にて、
夏目房之介さん講演会「孫が読む漱石」が行われた。
漱石作品について、孫・房之介さんは、何を思い、語るのか?
当日参加した私のメモから、その内容を大雑把にご紹介!
・・・このシリーズも、いよいよ完結篇です!

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●「自己像」


「明暗」は、登場人物の「見栄の張り合い」と「会話の欺瞞」を、
それぞれの人物から等距離の視点から書かれている。
それを僕は、「宙吊りの視点」と呼んだ。
・・・そして、「見せたい自分」をいくら装飾して見せても、
相手にはその見栄や欺瞞さえも、見透かされてしまっているのだ。
それを知ってはじめて自分は、「自分の知らない本当の自分」を垣間見ることになる。
・・・小説の最後の場面は、そんな風に終わっている。


誰でも、「自己像」を直接見ることは出来ない。
自分の全体(内面も含めて)もそうで、それを見ているのは、家族や近しい友人のみ。
人間が「自己チュー」になるのはそのため。
人間は自分の姿を直接見ることは出来ず、人の話を通じて垣間見ることしか出来ない。
・・・それをたぐり寄せることが、僕自身、人生の課題だと思っている。


以前息子が、「オヤジには今まで誉められたことがなかった」と言っていた。
ショックだった。
僕自身、何度も誉めた記憶があったからだ。
けれど。後で思い返してみると、
その時自分は「ここで誉めなきゃいけないな」と思って誉めていた、と思う。
で、多分、
「いいね。上手いね。」と言った後、
「・・・でも、もっとココをこうしたら、さらに良くなるよ?」
とか何とか、いろいろと理屈をつけて。
・・・それが本人には、説教に聞こえてたんじゃないだろうか?


自分も、父には誉められたことがなかったと思っていたが、
このエピソードを通して、父に誉められたことを思い出した。


父も、漱石は怖い父親で、誉められたことがないと言っていた。
父が小学校に上がり、フランス語を学ぶことになったとき、
漱石が「教えてやる」と言って、家で教え始めた。
が、父が間違えると、だんだんイライラして殴る。父は泣き出す。
見かねて鏡子夫人が「あなた、もう少し優しく教えてやって下さい。」と、
助け舟を出すと、
漱石「あいつが、わからないからイカンのだ!」
夫人「だって。わからないから教えてやってるんじゃないですか?」
漱石「・・・俺ァ、バカは嫌いだ!」
と、吐き捨てたという。


しかし、父の姉からすれば、
「初めての男の子だったから、可愛がっていた」という。
・・・同じデキゴトでも、相対的に見ることによって、見方は変わるのだ。

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●質疑応答


*鏡子夫人は、夏目さんにとってどんなおばあちゃんでしたか?(30代男性)


僕にとっては「おばあちゃま」でしたが、存在感はすごく大きかったですね。
小柄な人でしたよ。小ぶりのダルマみたいな感じ。
いつもニコニコしている。怒らない。
人に媚びたり、人に良く思われたいとかいうことをせず、言い訳を一切しない人。
でも。孫が「先にお風呂入りたい」とダダこねて泣いても、
「ダメ!私がこの家で一番偉いんだから。」と平然と言ってましたね。
とはいえ。若い時には自殺未遂もあったそうですから、大らかさは後天的なものかも。
半藤一利が本人から聞きとって、著書で書いているようですが、
ハデ好きではあったようです。
晩年は、大往生だったんじゃないでしょうか?



漱石作品のマンガ化の構想は、今後おありですか?(40代男性)


(不意を突かれたように)・・・へ?
いえ、特にありません。
以前「名作」という作品で、一度「坊っちゃん」をマンガ化したことがありますが。
マンガだと、関川夏央谷口ジローの「坊っちゃんの時代」という作品が、
よく描けていると思うので、
自分が手を出すことはないと思います。


(完)