夏目房之介さん講演「漫画・MANGA・コミック」(完)


夏目さんの講演、いよいよ完結篇です!

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●「漫画」の語源
「漫画」とは、もともとは中国語で「ヘラサギ(鳥)」の意味。
【マンファク】と読む。
ヘラサギは雑食で、何でもつまんで食べるので、
転じて、「雑文」や「様々な対象を扱う本」を指すようになった。
それが朝鮮半島から日本へと伝わった。
(ちなみに韓国では【マンファ】と読む。)
このため、「北斎漫画」の「漫画」は、こちらの意味で使われている。


「漫画」が、現在の意味で使われるようになったのは、明治初期。
雑誌「ジャパン・パンチ」の風刺画を真似たものが流行ったが、
それをバカにして「ポンチ絵」と呼ばれることに対し、
作者達は、蔑視ニュアンスからの脱却を図ろうとしていた。
その頃の風潮として、欧米化を近代化の基準としながらも、
旧来のものの中に、
良いもの・世界に通用するものを見出す動きが起こっていた。
そこで作者達は、
「国宝」として再評価されていた「鳥獣戯画」「北斎漫画」を、
自分たちの作品の「元祖」「源流」とし、自らの作品を「漫画」と呼んだ。
それにより、自分たちの作品は、伝統的に価値のあるものだとアピールしたのだ。
ちなみに。当時の作者層は、元美術学生が多い。
インテリだが、絵で食べれない人達が、副業でやっていた。



●「漫画」から「マンガ」へ
戦後、手塚治虫による革新を経て、
ストーリー漫画が、ベビーブーマー世代の支持を受け、
主流を占めるようになる。
1960〜70年代の「若者文化」の中、内容も青年化していく。
その流れの中で、
戦前から戦中にかけて主流だった「大人漫画」(=風刺漫画)と、
子ども向けマンガから出発した「ストーリーマンガ」を、
区別したい欲求が読者層(=ベビーブーマー世代)から起こり、
カタカナの「マンガ」表記が使われるようになった
このため、現在では「漫画」というと、
特に註釈のない限り「戦前の作品」を指す。



●「コミック」という呼び方
70年代に、
「マンガよりコミックの方がカッコイイ」という風潮が生まれた。
これは、欧米への憧れやコンプレックスの現れだと思う。
小学館が雑誌・単行本に「コミック」と名前をつけることが多いようだ。
(例:「コロコロコミック」「てんとう虫コミック」)
自分はほとんど使わないが。
一方で、アメリカ・イギリスでの「コミック」は、少々意味が異なるので、
混乱が生じることもある。



●「劇画」という呼び名
マンガの青年化現象の中で、貸本マンガ家達を中心に、
「自分たちの作品は前衛的で、
よりリアル・シリアスで、映画に近いもの」
として、自らの作品を「劇画」と呼ぶ風潮が一時期(1960〜70年代)見られた。
彼らは、自らを「劇画家」と呼んだ。
現在では、歴史的な呼称となっている。



●海外での呼び名
中国語圏である、中国・香港・台湾・韓国では、
「漫画【マンファク/マンファ】」について、
本来の意味(=雑文)とマンガと意味が混在してしまい、混乱が生じている。
このため、それぞれの意味を区別しようとする動きが見られ、
新しい呼称を作り出している。
(例:「故事漫画」=ストーリーマンガ、「動漫」=マンガ+アニメ)
中国では、日本マンガを「カツーン」と呼ぶ雑誌も。


一方で、「コミック」「カトゥーン」も、厳密な言葉ではない。
これは「大衆文化の越境性」の現れではないか?
言葉が、大衆的なものとして流通しているため、厳密な定義がないのだろう。



●異文化衝突としてのマンガ
マンガ・アニメは「日本固有の伝統文化」ではない。
社会の近代化・産業化の中で、大衆消費社会を背景に生まれた、
「異文化衝突」の一つである。
20世紀の文化の特色の一つとして、
印刷物や画像・映像を通して、作品が世界中に広まったり(=グローバル化)、
その地域に伝統的にあったものと融合(=ナショナライズ)したりする、
流れの一環として捉えるべきである。
このため、マンガを「日本固有の文化」と言ったり、
「伝統的なもの」と捉える見方は、誤りである。


(完)