今申楽朧座「修禅寺」


去る7月22日、静岡県伊豆の国市修善寺に、
今申楽朧座(いまさるがく・おぼろざ)の舞台「修禅寺」を観に行って来ました。


今申楽朧座とは?
一座のHPによると、(http://www.oboroza.com/
「能・狂言の元となった『申楽』。その、あり得たかも知れない今の姿を常に問い続ける一座。」
とあります。
主宰の朧太夫(おぼろだゆう)さんは、学習院大学在学中に、
学習院大学演劇部・少年イサム堂」に所属してまして、
同期で俳優の小林高鹿くんや、塚本拓弥くんと、しばしば競演してました。
で、その頃私は、高校時代の友人がイサム堂にいたことから、
大学在学中の4年間、ほぼ毎回公演を観てました。
・・・当時からファンだったんです。


公演に先立ち、7月11日には、NHK静岡局の夕方のローカルニュースにて、
太夫さんへのインタビューが放送されました。
ここでは、
「能や狂言の源流となった、日本古来の芸能である『申楽』を、
現代に蘇らせ、現代の演劇と融合させた、実験的な舞台」
と紹介されています。


ところで。何故、今、申楽を取り上げたのか。
番組中のインタビューによれば、
キッカケは、朧太夫さんご自身が、以前能や狂言を観たときに、
深く感動し、現代演劇にはない何か特別な魅力があると強く感じたこと。
一方で、これを伝統芸能としてではなく、
今日を生きる自由な舞台芸術として、一度自分達の手で作り直してみたいと考えたこと。
その思いから、一座を旗揚げしたとか。
能や狂言に残されている「魂」のようなものを、
そのまま復元するのではなく、現代に生かす気概で取組まれているそうです。


今年は、弘法大師がこの地の悪霊を岩屋に封じ込め、
ここに修禅寺を開いたとされる大同2年(807年)から、1200年目に当たります。
今回の公演は、それを祝う祭典の一環として、
去年の東京での初演をご観になった、ご住職直々のお招きにより実現したとか。
このお寺では、例年、
この寺で暗殺された鎌倉幕府の二代将軍・源頼家の霊を弔う法要を、
その命日である7月18日頃に行っているそうです。
その境内で上演される「修禅寺」は、その源頼家と母・北条政子の愛憎劇。
・・・この上ないシチュエーションに、ワクワクしました。

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ここで、物語の大雑把なあらすじ。


源頼朝の妻で、尼将軍としても知られている北条政子は、
嫡男の頼家を溺愛していた。
一方で、頼朝に愛人がいたことに激高するあまり、
頼家に女が近付くことを、激しく嫌っていた。


そんな折、頼家12歳の時、彼が初めて参加した牧狩りで鹿を射止めたという知らせが!
はしゃぐばかりに喜んで、あれこれと祝いの品を選ぶ政子。
しかし、侍女から、その後酒宴が行われたと聞き、
「(頼朝と同じく)酒宴に呼ばれた遊び女が、頼家に近付いたのでは?」
「私をないがしろにして!」
と、突如激高し、腹立ち紛れに、
「武将の子たるもの、野山に出て鹿や鳥を射止めるのは当然!
そんなことをわざわざ知らせてくるのは迷惑だ」
との返事を出してしまう。
・・・それが頼家にとっては、深いトラウマになってしまい、
「自分は、何をやっても誉めてはもらえないのだ」
「自分は生まれて来るのではなかった」
と、運命を呪うようになった。


10年後、将軍になってからも、母とはすれ違いばかり。
「母に優しい言葉を掛けて欲しい」との思いから、
トラウマのきっかけとなった牧狩りの時の、狩った鹿の皮で作ったボールを愛用し、
蹴鞠の会を催し、政子を招くが、
強い将軍となることを望む母からは、
「そんなことより、今はもっとやるべきことがあるだろう!」
という、激しい叱咤の伝言が届くのみ。
・・・失意の中、倒れる頼家。


昏睡状態の中、彼は幻を見た。
夢の中で彼は、富士の裾野の洞窟の中で、菩薩と名乗るものの声を聞く。
菩薩は「政子は本当の母ではない。自分こそが本当の母だ。」と言い、
政子が頼家の毒殺を図り、その家に火を掛け、妻子を焼き殺したと言う。
さらにその声は、頼家の魂を操り、
政子を憎み、殺すようささやくのだった。


意識が戻った頼家は、妻子が殺されたのは事実だったと知る。
(配布資料によれば、
頼家の妻の実家・比企氏と、政子の実家・北条氏との間で、覇権争いが悪化したため、
比企一族は頼家の子・一幡もろとも、政子の命令で滅ぼされたとか。)
その表情からは、もはや感情は消えていた。

能面のような表情のまま、彼は政子を糾弾する。
そこからは、滲み出てくるような、深い哀しみが伝わってくる。
そして、
「生まれて来るのではなかった。いっそもっと強い毒で殺して欲しかった。」
と、低く押し殺した声でつぶやくのだった。


政子は頼家の廃嫡を決め、修禅寺での謹慎を命じる。
やがて、頼家に謀反の意あり、との噂が、鎌倉でささやかれるようになる。
そして、政子の父より、頼家に刺客が放たれると聞き、
政子の魂は、息子を救おうと、修禅寺に飛ぶのだった。
その時、政子は頼家から、
すれ違いのキッカケが、牧狩りの一件だったと聞く。
政子自身は記憶にも留めていなかった、あのときの政子の言葉を、
頼家は一字一句違えずに、ハッキリ覚えていたのだ。
・・・なのに。それに同情するどころか、意に介さず突っぱねる政子。
その胸の内を、わかってはもらえないと悟った頼家は、
「もはや、母とは思うまい」と決心した。


その時、刺客が現れた!
政子をかばいつつも、刺客と戦う頼家。やがて彼らはもつれ合い、闇に消えてゆく。
そして、政子の魂は鎌倉に戻った。
意識が戻った政子に、頼家が討たれたとの知らせが!
・・・気丈に振舞っていた政子だったが、読経をする声は震え、最後には泣き崩れた。
政子は、頼家の菩提を弔うため、大般若経全600巻を寺に奉納し、
その巻末に自ら、
征夷大将軍源頼家の菩提のため、尼、これをおく」
と記した。


そして。晩年の政子。
生まれたばかりの頼家を抱いて通った、鶴岡八幡宮の参道を通りながら、
「何十年、何百年、何千年経っても、汝とわらわは親子ぞ。
もし再びこの世に生を受けることあらば、そのときはまた、わらわに宿ってたもれ。」
と祈るのだった。

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境内にしつらえた、特設の野外舞台での上演は、
薪能を観るような独特の迫力があり、美しかったです。
また、「今申楽」という趣向のためか、
音響・効果音は、笛や鼓など、和楽器を使っていて、
舞台とあいまって、幽玄な風情を醸し出していました。


物語は、愛憎劇というか、
ただただ母・政子の、爆裂母さんぶりが凄まじかったです。
ホントは息子を溺愛してるのになあ。
それを素直に伝えれば、きちんと褒めてあげれば、
こんなにトラウマに悩まされることはなかったのに。
・・・それに翻弄される息子が、一層哀れで。


「生まれて来なければよかった」
そのセリフ聞くたび、胸が締めつけられる思いがしたのは、
うつ病に悩む友人たちの姿がオーバーラップしたからでしょうか?
もしも、この母の子に生まれなかったなら、
ここまで屈折した思いを抱かずに、心優しく素直な青年に育ったかもしれないのに。
そこまで追い詰めてしまった政子が、息子が死んでから、
「もう一度生まれることがあったら、また私の子に生まれて欲しい」
と祈っても、遅すぎた祈りかもしれない。


それだけに、この母子が、あの世で和解してくれていればと、ふと思ったのでした。